この写真はインドのガンジス川です。私は一人旅が好きでバックパックを背負ってよくいろんな所に行っていました。インドは近くて遠い(行くのにかなりの勇気を要しました)場所で、なかなか行けなかったところです。
日本と比べ、衛生的にも綺麗とはいえないところですが、こうやって朝霧に煙る景色を引いてみるとなんと綺麗なところかとため息が出ました。人も景色も、なんというか、吸引力のある場所でした。
日本の常識はことごとく覆されるのが旅の醍醐味です。また、何が起ころうとも自分の動物的カンで乗り切らないといけないので、エキサイティングです!
一人で旅するのは寂しいんじゃないの?とよく聞かれますが、一人で旅をしていると現地の人や旅人と仲良くなれるチャンスがあるのでとても楽しいです。
声をかけられやすいし、困ったときなど声をかけたりして次の展開が始まることがよくあります。
ガチガチにプランを決めて行動するというパターンではないので、ここに行ったら楽しいよ、とかここに行くけど一緒に行く?という情報をもらってその場で考えるのもまた楽しいです。
大自然を見たり、現地の人の暮らしぶりを垣間見るのが好きで、知り合いになった人のお家によく遊びに行っていました。日本との風習の違いは興味深かったです。
後進国の家にはものがあまりありません。ものという遮蔽物がないので、人と人の関係が濃厚になるような気がします。ものに溢れた生活をしているから、人との関係が希薄になるのではないでしょうか?
そして動物的なカンも、ものが増えると衰えてしまうというということをモロッコで体験しました。
どうしてもサハラ砂漠が見たくて、モロッコのマラケシュからレンタカーを借りてガイド付きで行った時です。トドラ渓谷あたりまではそのガイド(以下モハメッド)に連れて行ってもらいましたが、そこからはちょっと自信がないということで地元のガイド(以下アリ)も乗せて3人になりました。2人合わせてモハメドアリやーん、とほくそ笑みながらどんどん進みます。
マラケシュ住みの都会人モハメッドは、カンが衰えていたようです。笑 そこからサハラ砂漠までは建物も何もなく、360度見渡しても何の目印もない状態でどっちに行ったらいいか、さっぱりわからない状況でした。でもアリは、方位磁石もないのに雑談しながらあっちだこっちだと指示します。飛び交うアラビア語を心地よく聞きながらしばし。メルズーガのホテルに着いたのはちょうど夕陽が沈む時刻でした。西の果てで夕陽が見られるなんて!と悠長に堪能している時間を彼らは与えません。
今日はもう遅いから、ラクダは明日ね~。と言い、砂漠をおいかけっこ。これって、小学生以来か?と懐かしく思いました。
その晩は、ほのかなあかりの中アリがタムタム演奏をしてくれて異国情緒を満喫。
また、次の日はラクダと心が通じ合う瞬間もあり、感動。
思い起こせばいやな体験もあるにはありますが、旅の思い出は後から考えれば楽しかったことが抽出されているのはなぜなのでしょうか?
そして、思い出すたびに何度も反芻して楽しめるところがいいです。そしてひとつひとつの体験がキラキラと輝いています。
旅の醍醐味はまだあります。高城剛さんの言葉で『移動距離とアイデアは比例する』というのがあります。
移動とは頭の中の換気
具体的な変化を強制的に起こさせる一番手っ取り早い方法
凝り固まった思考、出口の見えない問題、堂々巡りの自問自答 それらに新しい空気を吹き込み配置を変えたり視点を変える。そのために物理的に移動してみる
毎日のルーティンでは絶対気づかないことも枠から出れば気が付く
常に同じ環境ではインプットがなくなる
行って見て聞いて体験する、これを超える行動はない
物理的に移動すること、環境を変えることはリフレッシュするために一番手っ取り早い。まさにそうだと思います。
煮詰まったらちょっとコンビニに歩いて行ってみる、家具の配置を変えてみる、人生に迷ったら旅に出てみる、住む場所を変えてみる、とても有効です。
そしてものに対する思いも、旅から生まれたことがあります。旅をしていると荷物が多くなればなるほど行動範囲が狭くなり 見るもの・体験できることが少なくなる。前述のようにバックパックひとつで旅をしているので、ガイドブック一冊でも増えれば重くなり行動範囲が狭くなります。ちょっと先の土産物屋さんでさえ、行くのがおっくうになりやめておこうという気持ちになります。
持ち物を厳選する必要性を旅で学びました。
旅が好きなので、ついあれやこれやとまとまりのない文章になってしまいました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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